アメミット
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おそらく、「獬豸」(かいち)の出典が孔子を批判した先駆者である王充(おうじゅう)が著した「論衡」(ろんこう)なので、孔子と結びつきの強い「麒麟」を別の生き物に変えたかったのだと私は思います。 秦の始皇帝は焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)を行い、孔子の仁による「徳治主義」から、韓非子(かんぴし)の「法治主義」に切り替えたので、その流れをくむ中国では孔子の「麒麟」よりも王充の「獬豸」(かいち)の方が都合が良かったのだと私は思います。 「麒麟」である一角獣が、「水犀」(すいさい)や「獬豸」(かいち)と名前を変え、「馬」から「亀」や「牛」や「羊」と忙しいぐらいに様々な形態をとるのは、それだけ謎が深かったからだと思います。 |
鍾馗夢中捉鬼之図 月岡芳年「新形三十六怪撰」
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京都の屋根瓦を見るとよく「鍾馗さん」(しょうきさん)と呼ばれる「飾り瓦」があります。 剣を持ち髯を生やした怖い顔をしたおじさんです。 これは道教の神様で、唐の時代に玄宗皇帝(げんそうこうてい)の夢に現れて「鬼を退治」した事から信仰が広まったものです。 「鍾馗さん」は元々は「鍾魁」(しょうかい)という名前で北斗七星の一番先頭にある「魁星」(かいせい)のように出世が出来るようにと両親が想いを籠めて付けた名前でした。 その名の通り、彼は13歳で儒学正員となり、18歳で国子監(こくしかん)と呼ばれる最高学府を卒業しました。 そんな彼でしたが落とし穴が一つありました。 |