やっしーの休憩室
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如意宝珠(にょいほうじゅ)というものが、あります。
龍が手に持っている珠だと言います。
西洋のキリスト教では、龍は、悪魔のことですが、中国では、皇帝のシンボルでした。
竹取物語の中で、大友大納言に出す結婚の条件が、龍の5色の珠を、取ってくることでした。
また、吉祥天
(きっしょうてん)という仏教の神様が持っている珠だとも、言います。
吉祥天の旦那さんは、毘沙門天(びしゃもんてん)と言います。
どちらも、ルーツは、インドの神様で、吉祥天は、ラークシュミーと言い、毘沙門天は、ヴィシュヌと
言います。
インドのヒンドゥー教は、多神教で、たくさん神様が、いますが、一番人気があるのが、ブラフマン
、シヴァ、ヴィシュヌ
という神様の、
3人です。
ちなみに、ブラフマンは、仏教では梵天と言います。
シヴァは、大黒天です。
梵天は、マイナーですが、大黒天は、メジャーです。
米俵に乗って、打出の小槌を持っている七福神の一人です。
このヴィシュヌ
という神様の一つの変身した姿が、釈迦だと、ヒンドゥー教では言います。
日本の戦国武将で、上杉謙信という人
は、毘沙門天(ヴィシュヌ)を崇拝し、願をかけます。
戦争で、強くなれるようにです。
その願いの代償として、女色を絶つと、誓いをたてます。
そのため、みなさんも、ご存知
の通り、生存中は、誰にも負けませんでした。
神がかり的な、強さを誇りました。
しかし、女色を絶った為、歴史には、彼の名を、刻むことが出来ましたが、後継者が、自分の子では
なくなり、彼の血は、絶えてしまいます。
この上杉謙信に、対抗して、ある神様の生まれ変わりだと、名乗った人がいます。
織田信長です。
彼は、第六天魔王と、名乗りました。
第六天魔王とは、ブッダの悟りを邪魔したマーラという魔人で、後に大黒天(シヴァ)と習合した神様のことです。
大黒天は、明王の姿になると、不動明王のことです。
炎で、燃え滾る姿で、憤怒の形相で、岩の上に座っています。
毘沙門天(ヴィシュヌ)の、明王の姿は、孔雀明王です。
女性的な、おだやかな表情で、孔雀の上に座っています。
とても、対照的です。
彼の乗っている孔雀も、ガルーダと言って鳥の神様です。
バリ島に旅行に行くと、このガルーダの置物が、あちこちにあります。
鳥が、羽を広げた置物で、カラフルで、目を引きます。
インドネシアのガルーダ航空は、この神様から名前を、取ったそうです。
シヴァは、仏教を吸収したヴィシュヌとは、ライバルの神様です。
織田信長が、仏教の敵(仏敵)と言われる所以です。
現に、比叡山を焼き討ちして、僧侶(仏教の天台宗)も、女、子供も皆殺しにしたりしました。
最大勢力といわれた本願寺の門徒(仏教の浄土真宗)も、敵にまわします。
伊勢の長島でも、門徒の僧兵を、
柵で囲って、火を放ち、焼き殺しました。
国中の仏教徒を、敵にまわしたのです。
戦国武将の話は、この辺にしておいて、
ヒンドゥー教とは、インドのカースト制度(身分制度)を肯定する
宗教です。
ピラミッド型の身分制度で、頂点の部分は、アーリヤ人(西洋人)です。
アーリヤ人が、インドの土着民や、異民族を支配する政治上の目的で作られた宗教です。
このヒンドゥー教の力が、強すぎて、平等を説いていた仏教は、消滅させられそうになります。
かろうじて、ヴィシュヌに吸収される形で、
残ります。
そして、仏教を信仰していたアジアの人たちは、カースト制度の下層階級に、組み込まれます。
インドで生まれた仏教が、インドでは、消滅して、日本では、発展したのは、歴史のおもしろいところです。
日本は、アニミズム的な神道の国です。
八百万(やおよろず)の神さまの存在を許容する国です。
儒教や、仏教が、外国から入って来た時も、既存の神道を、捨てずに神道の一部として、共存しました。
ユダヤ教や、キリスト教、イスラム教のような一
神教は、他の宗教を認めません。
弱肉強食の世界で、油断をすると、インドでの仏教のように、滅ぼされてしまうからです。
生き残るために、他宗教は、認めません。
一つの考え方、一つの思想なのです。
日本は、いろいろな考えが、矛盾を含みながら、共存しています。
無節操です。
私は、そこが、日本のすばらしいところだと思っています。
お正月には、神社にお参りに行き、クリスマスには、ケーキを食べて、2月には、豆まきしたりします。
ごちゃまぜが、普通なのです。
おでんの発想です。
それを、もし、一つの思想に、一つの価値観に、変えろと言われたら、かえって、違和感を覚えます。
日本の技術が、進歩しているのは、ごちゃまぜなものの考え方が、影響しているように思えます。
話が、反れましたが、如意宝珠とは、インドの仏教では、釈迦の遺骨だとされました。
釈迦
は、遺骨になっても、御利益があると思われていたみたいです。
仏教寺院の仏塔に、骨を分けて奉納しました。
中国や、タイでは、骨の代わりに、宝石を奉納しました。
日本も、同じです。
日本の仏塔には、翡翠や、瑠璃(ラピスラズリのこと)や、真珠なんかが、含まれます。
日本では、やっぱり、真珠が一番多かったのではないかと思われます。
真珠は、昔、養殖ではなく、天然で、貝に異物が入って、偶然できるものでした。
核がないので、その形は、真円ではなく、ほとんどが、しずく形でした。
この如意宝珠というのも、しずく形をしています。
珠というのは、日本では、真珠と翡翠ぐらいです。
世界の人たちが、希少性価値を見出したのは、翡翠より、真珠でした。
外国人は、日本人ほど、貝を食べる習慣が、なかったので、天然の真珠に出会う機会が、少なかった
と思います。
しかも、アコヤ貝は、水温が、少し違うだけで、死んでしまう弱い生き物で、日本の、しかも伊勢と
いう限定される場所でしか採れない宝物だったのです。
今は、宇和島や、長崎なんかでも、有名になりましたが、もともと、伊勢に生息しているアコヤ貝を、
宇和島や、長崎に持っていって、養殖したのが始まりです。
外国人が、宝珠と、聞いて、真っ先に連想するのは、真珠なんじゃないかなと、思ってしまいます。
クレオパトラが、アントニウスの前で、真珠を飲んだ話は、有名です。
真珠は、国をひとつ、買えるぐらい高価なものだったので、エジプトの女王の富の力を、アントニウスに、
見せつけたと
言われます。
龍が持っている珠は、
水晶だという人もいます。
たしかに、水晶なら、水に関係するので、おかしくありません。
でも、形がしずく形というのは、少し疑問に思います。
真珠も、いろいろとエピソードがあって、おもしろいものです。
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これが、ガルーダの置物
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