やっしーの休憩室
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私は桜の花が大好きです。
満開の桜の花びらが、あたかも雪がふぶいているかのごとく舞い散るさまは、本当に美しい時の流れを感じさせます。
日本では、古来、特に俳句や和歌の世界において「花」の一語が、「桜」を意味していて、この舞い散る様子を「花吹雪」と呼んでいます。
桜は穀物の神が宿るとも考えられ、豊作を願って、各地に「田植え桜」や「種まき桜」と呼ばれる桜が存在したそうです。
歌人の中で、平安末期の西行法師が、月と桜を愛したことは有名です。
彼は、藤原鎌足の子孫で、武士の家系に育ちましたが、仏道に入り、阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号としたそうです。
彼は、吉野の桜を多く歌にしており、「願はくは 花のもとにて 春死なん その如月の 望月のころ」(釈迦の命日の2月15日に逝きたい)という歌を残して、一日遅れの2月16日に亡くなりました。
また、豊臣秀吉は、醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に、近親の者や諸大名を従えて盛大な
花見を催したとされます。(醍醐の花見)
江戸時代末期には、桜の品種改良が進み、ソメイヨシノを始め、300を超える品種が存在するようになりました。
「さくらまつり」は、毎年4月上旬にワシントンD.C
.で行われるワシントン日米協会主催のストリートフェスティバルで、パレード終了直後
の午前11時から
午後6時まで開催される全米最大の日本のお祭りで、ペンシルベニア通り沿いの6ブロックにわたって、日本の文化、
露店、パフォーマンス、食などが紹介されます。
世界の名所の一つになっている
ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、明治の終わりごろに、アメリカのタフト大統領夫人の
希望により、当時の尾崎行雄東京市長が苗木をプレゼントしたものです。
こうして、桜は日米友好のシンボルとして、100年近くの歳月を経ても、多くの人々に親しまれているわけです。
しかし、韓国では、全米桜祭り
等と絡めて「ソメイヨシノの起源は韓国だと世界に正しく知らせよう」との海外への対外広報の動きや、
韓国のあちこちにソメイヨシノを植樹する活動を進めています。
ソメイヨシノの起源は韓国だとする
主張は、韓国の済州島(チェジュとう)に自生する王桜(ワンボッコ)という桜が似ている為ですが、
米国農務省のDNA検査によるとソメイヨシノと王桜が、全くの別種で、王桜がソメイヨシノの片親といったDNA的相関もないと確認
され
ました。
それでも、ソメイヨシノの
起源は韓国であるといった主張を止めず、結局、2007年から2012年に限っても、その主張は、毎年のように
繰り返されています。
あと、日本人が桜を愛するのは、開花の華やかさ
だけではなく、散って行く儚さや、潔さも、愛玩の対象となっています。
潔よさを人の模範と見て、江戸時代以降、しばしば武士道のたとえにされてきました。
明治時代に新渡戸稲造が著した『武士道』では「武士道とは日本の象徴たる桜の花のようなもの」と冒頭に記しています。
映画「ラストサムライ」のワンシーン
で、桜の咲いた寺の境内で、渡辺謙が、「人も桜もいつかは散る。吐息の一つ一つに、茶の湯の一杯に、敵の一人一人に命が宿っている。それを忘れてはならない」という台詞が、「桜」と「武士道」の関係を表しています。
武士道を美徳とした旧日本軍では、潔く散る桜が自己犠牲のシンボルとして多用されました(特攻機桜花など)。
たとえば「花(華)と散る」という言葉は戦死や殉職の暗喩で、「歩兵の本領」「あゝ紅の血は燃ゆる」「同期の桜」など、歌詞にそうした表現
を反映した軍歌も
数多く作曲され、戦中非常に良く歌われました。
旭日旗(きょくじつき)
チベット国旗
話は変わりますが、日章と旭光を意匠化した旭日旗というものがあります。
旭日旗と言えば、日章位置が旗竿側に寄っている日本海軍の
「軍艦旗」がイメージされることが多いのですが、日本の歴史上
初めて考案し、かつ「軍旗(連隊旗)」として採用したのは、日本
陸軍だそうです。
近年、韓国では、旭日旗に対し「負の歴史を示すものであり、
日本の軍国主義、植民地主義の象徴」と意図的に国内外で
喧伝している傾向があります。
特に2011年(平成23年)のサッカーアジア杯準決勝の日韓戦で、韓国代表の奇誠庸(キ・ソンヨン)選手が人種差別パフォーマンス
(韓国では「猿」が日本人を侮辱するときに多用される蔑称で、「猿」の物真似)をおこなった際の釈明に旭日旗を持ち出しています。
先日のロンドンオリンピックでも、サッカー日韓戦の後、竹島(韓国名・独島)の領有を訴えるメッセージボードを掲げた朴鍾佑
(パク・
チョンウ)も、その釈明に
日本の観客席で、旭日旗を挙げている人がいたことを持ち出しています。
日本と韓国
は、どちらもアメリカと同盟を組んでいて、中国と北朝鮮を、仮想敵国にしている為、日本と韓国は、仲良くするべきなんですが、韓国の日本嫌いは止まりません。
三国志に「離間の策」という
作戦があります。
敵国どうしが連携を組むのを防ぐ為に、政治や、嘘の情報や、スパイなどの内部工作を使って仲間割れをさせるというものです。
韓国の日本嫌いは、戦争での恨みもあるでしょうが、中国の影響下にある
全教組という教育機関が、韓国の教育を握っており、子供の頃から、日本を嫌うように反日教育をされています。
日本の沖縄県でも、もともと戦争で、アメリカを嫌う要素があったかもしれませんが、中国の影響下にある日教組という教育
機関が、
アメリカを嫌うように仕向けています。
日本の右翼が、旭日旗を好んで使い、日教組や全教祖を失くそうと叫んでいるのは、この為
です。
実は、この旭日旗は、仏教とも深い係わりがあります。
無明を照らす光、光明を表します。
チベットのガンデンポタン政府が1912年(明治45年/大正元年)に国旗として制定したチベット国旗は、意匠の考案に浄土真宗本願寺派の正福寺で生まれた、チベット仏教研究者で僧侶である青木文教が関与していたこともあり、間接的に「帝国陸軍の軍旗(旭日旗)」の
影響を受けて誕生しました。
この旭日とは、太陽の光をあらわすもので、太陽そのものではありません。
太陽そのものは、天皇であり、光は、「星」を表します。
日から生まれると書いて「星」です。
太陽や月は一つしかありませんが、「星」は無数にあります。
日本の国民が、この「星」に当たるというわけです。
日本神道では、アマテラスが太陽で、ツクヨミが月です。
そして、スサノオが星になります。
スサノオは、嵐の神で、戦の神です。
戦争には、もってこいということです。
別の言い方をすると、天皇が太陽で、藤原氏が月です。
そして源氏が星です。
陸上自衛隊 将(乙階級章)
海上自衛隊 将(丙階級章)
天皇家と、藤原氏の子孫が源氏です。
まさに日から生まれた氏族と言えます。
飛鳥時代、蘇我氏の天下でしたが、藤原鎌足が、クーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害しました。
こうして、藤原氏の天下となりましたが、鎌足の息子の藤原不比等は、
蘇我 娼子(そがのまさこ)を
、最初の正室
として、血は混血していきます。
結局、蘇我氏(石川氏)自体はその血を引いていた天武天皇の皇統断絶等もあって、姿を消す事となった為、女系ながらも、彼女が藤原氏を通して、その血統を現在まで伝える事となります。
その系統に、
源氏があるわけです。
日本神話では、
スサノオの子孫のオオクニヌシが日本国民の先祖だと言われています。
源氏は武士の
棟梁と言われ、鎌倉幕府が出来てから、政治は天皇から武士へと移り、ずっと武士の時代が続きました。
その武士が、明治維新を起こし、日本を近代化し、西洋諸国の植民地主義に対抗して、軍国主義
へと突き進みました。
韓国は、戦後、連合国にも入っていなかったのに、天皇の戦争責任を追及すべきだったと機会がある度に言いますが、日本の歴史を、まったく知らないからだと思います。
アメリカは、敵国であった日本
の歴史を調べつくしていましたので、連合国側のイギリスや、フランスが、天皇の処刑を求めたにもかかわ
らず、象徴として、罪には問いませんでした。
敗者に温情を与える行為を、「武士の情け」と呼んで、日本人は、美徳とします。
天皇を助けてもらったことに、国民がどれほどアメリカに感謝したかは分りません。
アメリカから、日本の国民に配給されたパンやミルクも、「武士の情け」です。
それから、敗者は、自ら命を絶つという、切腹という習慣もありました。
これは、潔く負けを認めることが、美徳だとされていたからです。
だから、原爆を落とされたことをアメリカに抗議したりはしませんでした。
戦後、戦争を起こした軍人が、A級戦犯として処刑され、
靖国神社に祀られました。
日本では、敗者の墓も、神社として、丁重に祀る習慣があります。
それは、「武士の情け」と同じで、敗者を許す
行為と通じる部分があると思います。
靖国神社を参拝すると、中国人や、韓国人は怒ります。
死んだ敗者を、許すという感覚はなく、戦争を肯定していると考えます。
日本人は、日本の国の為に死んでいった霊を弔っているので、人道徳的に間違っていないとなるわけです。
話が反れましたが、旧日本軍の階級章は、外国と同じ「星」でしたが、自衛隊の階級章は「桜」を使用しています。
旭日章(警察章)
日本の警察のシンボルマークの「桜の代紋」は、日章と周囲に
広がる光条の組み合わせをかたどった意匠の旭日章で、外側の輪郭が、桜の形になるようにデザインされています。
「東天に昇る、かげりのない、朝日の清らかな光」を意味すると
言います。
憲法9条の戦争放棄により、軍隊を持てない日本は、
1950年
(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである
「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置された
武装組織を、警察予備隊と言い、これが後の陸上自衛隊と
なります。
さて、また仏教の話になりますが、奈良は仏教の都でした。
南都六宗という日本で最初の仏教の宗派が出来た所です。
東大寺の大仏も、有名です。
奈良と言えば、吉野の桜が有名ですが、鹿も有名です。
鹿は春日大社(藤原氏)の使いとされ、
奈良では放し飼いになっています。
この鹿は、もともとは仏教の使いとされ、仏教反対派だった藤原氏が、最終的には仏教を認め、自分の使いとしたのです。
日本は、仏教を入れるかどうかで、揉めました。
仏教を入れると神道が脅かされるという、
仏教反対派の藤原氏と物部氏。
神道とは関係が無い為、仏教賛成派の蘇我氏です。
仏教賛成派には、蘇我氏系の聖徳太子がリーダーとなりました。
この蘇我氏というのは、渡来系民族で、おそらくソグド人だろうと言われています。
ソグド人はもともとイラン系民族で、ゾロアスター教という宗教を信仰していました。
仏教には、このゾロアスター教の神様が多く含まれていました。
代表的な神様が、興福寺(藤原氏)の阿修羅です。
これも、最初、仏教反対派だった藤原氏が、最終的には仏教を認め、自分の守り神にしました。
戦争の神様で、ケルト神話のケルヌンノス、エジプト神話のセト、カナンのバアル、朝鮮の牛頭天王、日本のスサノオなどです。
頭に角が生えているのが特徴です。
鹿
などに生える角は、「木
」に似ている為、動物と植物の融合、豊穣を意味するようです。
聖徳太子は、この宗教戦争で、藤原氏と物部氏に勝つ為に仏教の神様に願をかけます。
もし、この戦いに勝てたら、その仏教の神様の建物を必ず建造しますと。
その願をかけた神様というのが、四天王と言われています。
仏教では、帝釈天(インドラ)というギリシャ神話のゼウスに相当する雷の神様がいて、その帝釈天に仕える四人の武神を四天王と
呼びます。
持国天(じこくてん)、増長天(ぞうちょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)の四人です。
仏教で「天」と着くのは、ヒンズー教の神様で、この四人が、ヒンズー教のどの神様に該当するのかはよく分りません。
ただ、この四人のリーダーが多聞天だと言われ、別名を毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ぶ、孔雀(フェニックス)の神様です。
この神様だけは、ヒンズー教では、ヴィシュヌと呼ばれる仏教を作り出した神様だということが分っています。
そして、この四天王が、時代が経つにつれて、四が省かれ、ただ単に天王と呼び、牛頭天王を指す様になりました。
牛頭天王とは、その字の通り、牛の頭を持つ神様で、
釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、八坂神社などで祀られている
神様のことです。
中国の道教の神様に、
托塔李天王(たくとうりてんのう)という神様がいて、牛頭天王と同一神だと言われていますが、宝塔を持った
毘沙門天の姿で表されていて、
これが、毘沙門天と、牛頭天王が混同されている原因かもしれません。
また、牛頭天王には、牛頭天王(スサノオ)の子孫であると、あらゆる災いから逃れるという蘇民将来(そみんしょうらい)の
伝説があり、
茅で作った輪
を被ったり、五芒星という星の印などを身に付けると、守ってもらえるという言い伝えがあります。
蘇民将来の信仰が盛んな伊勢近辺の海女さんは、
習俗として五芒星を手拭いに染め、魔除けとするそうです。
藤原氏と物部氏VS聖徳太子と蘇我氏の戦いは、現在は、東大阪の八尾というところで苛烈を極めました。
聖徳太子の願もあってか、物部守屋の胸に弓矢が刺さって、仏教反対派の負けが決まります。
物部氏は、ヤマタノオロチとされ、この地名が八尾となりました。
聖徳太子は、願をかけた時の約束を守って、四天王寺という仏教のお寺を立てました。
その場所が、地名になって天王寺となりました。
この近くが、阿倍野というのは、安倍
晴
明(あべのせいめい)のゆかりの地でもあるからです。
阿部氏という蘇我氏系の貴族がいて、その貴族が平安時代以後は、「安倍」と称しました。
安倍
晴
明は陰陽師の家系として知られ、幻術等を使ったことで有名です。
この安倍
晴
明が五行の象徴として、五芒星の紋を用いました。
「安倍
晴
明判(あべのせいめいばん)」や「
晴
明九字(せいめいくじ)」とも言われます。
そして、この五芒星は、魔除けとして、大日本帝国陸軍の軍帽に、刺繍されていたようです。
仏教の都、奈良には近鉄電車が走っています。
この野球チームが近鉄バファローズと、「牛」がトレードマークになっていたのも、偶然としても面白いです。
「鹿」も「牛」も同じ意味合いがあるからです。
桜の話から、いろいろと話が飛びましたが、「星」は戦いの象徴であると同時に、「鹿」の象徴でもあるのです。
安倍晴明判
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