やっしーの休憩室
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不動明王(五大尊のうち)醍醐寺蔵
グレイド・レーニによる「大天使ミカエル」
人間の本能で、一番大きいのが、「母性本能」と、「闘争本能」です。
「母性本能」は、女性が持ちやすく、「闘争本能」は、男性が持ちやすいものです。
女の子の読むマンガは、ほとんど恋愛ものです。
「母性本能」の愛したいという本能を満たしてくれます。
それに比べ、男の子の読むマンガは、ほとんどが、喧嘩や、スポーツものなど、戦いの話しです。
「闘争本能」の勝ちたいという本能を満たしてくれます。
性別によって、好むものが、全然違うのは、この二つの本能が影響しているせいだと思います。
イザナギとイザナギの子供に、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という炎の神様がいます。
この子供を産んだ為に、イザナミは火傷をして死んでしまいます。
怒ったイザナギは、
火之迦具土神を剣で、切り殺します。
すると、分裂して、8人の神様が誕生するという神話です。
この神話は、とても、象徴的です。
炎というのは、昔から、男性原理を表します。
分裂、独立、戦争の「闘争本能」を表します。
イザナミが死んだということは、女性原理
が消滅したということです。
そして、男性神のイザナギが剣で切り殺すと、分裂して8人の
子供が生まれたというのは、女性原理を介さずに男性原理だけで誕生した神様という意味にも取れます。
女性原理だけで誕生した、イエス・キリストとは対象的で、
「闘争本能」の神様です。
バラモン教や、ヒンドゥー教のインド神話では、アグニと呼ばれる火の神様がいますが、ギリシャ神話の鍛冶の神様のへパイストスと同じだとされます。
七福神の恵比寿さんは鯛を抱えた水の神様としてしられますが、もう一つの顔が火と鍛冶の神様です。
古事記では、蛭子命と呼ばれ、不具の子に生まれたため、海に流されてしまう蛇を象徴した神様です。
イザナギが、黄泉の国から帰ってきて、海で禊をすると、アマテラス(火)、ツクヨミ(水)、スサノオ(風)の3神が生まれます。
これも、女性原理を介さずに、男性神のイザナギ、一人で生んだ神様達です。
火之迦具土神の別名を、三宝荒神と呼び、蛇の神様である物部氏の祖神の大物主命の荒御魂だと言われます。
おそらく、蘇我氏と習合した物部氏を表しているものと思われます。
三宝とは、火と、水と、風の恩恵を受けた竈(かまど)の事で、アマテラス(火)、ツクヨミ(水)、スサノオ(風)の3神と対応していて、とても面白いです。
恵比寿さんは八岐大蛇(やまたのおろち)にされた物部守屋を表しているのかもしれません。
旧約聖書に、出エジプト記と呼ばれる書物があります。
エジプト王に奴隷として捕まって、圧制に苦しむユダヤ人をモーセと呼ばれる指導者が、奇跡を見せて脱出するという物語です。
このモーセが、奇跡を使えるようになったのは、「紫の炎」の神様に出会ってからです。
へヴィメタルの元祖と呼ばれる「ディープ・パープル」という
バンドがあります。
彼らのアルバムに「紫の炎」というものがあります。
これも、この旧約聖書の出エジプト記がテーマになっています。
この「紫の炎」とは、
私は「闘争本能」を意味するように思います。
戦いの神様が、エジプトから脱出する為にユダヤ人に「闘争本能」を与えたのだと思います。
この神様によって、エジプト人達は、10の災いを受けます。
「闘争本能」の目的は、勝つということです。
だれにでも平等というわけではなく、相手には当然、不利益や損害を与えます。
私は、この性格が、とても特徴的だと思います。
だから、旧約聖書は男性原理が強い神様で、新約聖書は女性原理が強い神様だという気がします。
話しがヒンドゥー教に飛びますが、ヒンドゥー教の神様で、主要な3人の神様がいます。
一人は、
ブラフマー(梵天)という神様です。
宇宙を創造した神様で、混沌(カオス)に秩序(コスモス)を与えた神様なので、全ての人に平等です。
太陽の光は、万人に差別なく降り注がれるように、ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、仏教も、無宗教も、区別をしません。
善人にも、悪人にも、降り注がれます。
つまり、善も悪も超越した万物
の神様
です。
この神様は、「紫の炎」の神様とは違うように感じます。
そして、もう一人は、ヴィシュヌ(毘沙門天)という神様です。
雷神インドラ(火)と、風神ヴァーユ(風)と
、月
神ハヌマーン(水)の三神の性質を取り入れて一つにした
火と風と水の智恵の神様です。
孔雀を象徴する神様で、キリスト教の堕天使ルシファーに該当するのかもしれません。
ルシファーは「光り輝く者」という意味で、「明けの明星」とも呼ばれ、ペルシアの火の神様であるミトラと同じ神様だと思われます。
火の鳥(フェニックス)がシンボル
で
す。
人間は、智恵を得ることによって、自然界の法則を知り、動物達より、恵まれた生活を保障されるようになりました。
全てのものに平等というより、
努力する
ものに恩恵をもたらす神様です。
しかし、ユダヤ教では、その後、ペルシアのゾロアスター教の善悪二元論を取り入れて、神様を、善と悪の二つに割り、
ペルシアの
神様を悪魔と
呼ぶようになりました。
民族間の争いで、敵国の信仰する神様を、悪魔にする事で、自国の宗教を正当化する事が狙いでした。
これは、インドと、ペルシアの関係でも同じことが言えます。
私から言わせると、人間の都合で、悪魔という別の名前を付けて呼んでいるだけで、結局は同じ神様を信仰しているように思います。
失楽園の物語では、イヴをそそのかして、智恵の実を食べさせた「蛇」と結び付けられました。
こうして「火の鳥」である天使ルシファーと、「蛇」のサタンは共に絶対神に反逆するものとして、地獄に落とされます。
インド
では、蛇神の諸王といわれるナーガラージャ(仏教では八大竜王)の一つとされるアナンタ(神道でいう八岐大蛇)という巨大な「蛇」が、「孔雀」であるヴィシュヌの使いだと言われています。
キリスト教ではルシファーを地獄に落としたのは、神様の命令を受けた天使ミカエルだと言われていますが、ミカエルは、ミトラのことなので、自分で自分を地獄に落としたことになり、ペルシア神話から考えると、矛盾した話になっています。
堕天使として一度は地獄に落としたものの、キリスト教に取り込む為にルシファーとミカエルと
いう二人の天使がいた事になったのかもしれません。
一神教は、他宗教を
認める
ことが出来ないので、排除するしか、方法がありません。
排除する方法として、敵を悪魔と呼びます
。
しかし、人間の数だけ、信仰は存在します。
その全てを排除するのは、無理があります。
特に、人間の本質と同じ「闘争本能」の性質を持った神様は、排除しようと思っても、根強い人気があり、なかなか排除することが出来ません。
結局、その「闘争本能」の性質の神様は、天使という神様に次ぐ地位を認められ取り込まれていきます。
キリスト教の時代になって、一神教の苦肉の策として、「三位一体」という
考えを作り出します。
「父」(神)と、「子」(キリスト)と、「聖霊」
(天使)は同じ一つの存在なんだという考え方で、
他の神様の性質を取り入れても、多神教ではなく、一神教で矛盾しないんだという理屈です。
この「三位一体」を唱えたのは、
古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家「アウグスティヌス」という人です。
アウグスティヌスは、
キリスト教グノーシス派(善と悪の二元論を反転させて、人間に智恵を与えたルシファー
を善の神とし、既存の神を悪魔とする思想)から仏教を取り入れて発展した火の神ミトラ(ミカエル)を最高神とするマニ教(明教)を最初、信仰していた人です。
それが、途中で、キリスト教に
、回心して、それからは、キリスト教の教義を、理論的に、哲学的に補強していきます。
その補強の一つが「三位一体論」です。
マニ教という宗教は、ペルシアを中心に信者を増やした為、ゾロアスター教から迫害を受けましたが、ローマがキリスト教を国教にする前は、ローマ帝国全域にまで、勢力を拡大し、
スペイン・北アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教で
した。
今は、消滅したとされますが、
宗教形式(ユダヤ・キリスト教の継承、預言者の印璽、断食月)は、後にムハンマドのイスラム教の成立に影響を与えました。
中国では、元において、マニ教(明教)と弥勒信仰(仏教のミトラ信仰)が習合した白蓮教(びゃくれんきょう)と呼ばれる宗教が生まれ、元末に紅巾の乱(こうきんのらん)を起こします。
また、ミトラ神は魔術的なヴァルナ神と対をなす
契約・約束の神で、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどのキリスト教の有力なライバルでもありました。
ミトラ神が、牡牛を殺す神として、信仰されたのは、牛の神を信仰するバアル神信仰とも、敵対していた為だと思います。
旧約聖書の「列王記」に登場する預言者エリヤとエリシャの師弟は、神から、当時人々の間で広まっていたバアル神を信仰する者を排除し、偶像崇拝も禁じよと啓示を受けます。
ここで、バアル神という共通の敵を見出して、ミトラ教とユダヤ教の利害が一致したわけです。
一応、キリスト教では、火の本質だけ取り入れて、ミカエルが、ルシファーを地獄に落としたという物語になりました。
ギリシャ神話のペルセウス(ミトラ神)が、メデューサ(ゴーゴン)という蛇の怪物を
倒す神話や、日本神話のスサノオが八岐大蛇を倒す神話なども、ここから来ているようです。
ミカエルの姿は、ヴィシュヌと似ているのですが、甲冑を纏って天の軍団の先頭を行く、といったイメージが一般化され、場合によっては孔雀の尾羽のような文様の翼を有した姿で描かれることが多いようです。
また、右手と左手にそれぞれ剣と魂の公正さを測る秤を携えた姿で描かれることが多く、正義を象徴する「力」という意味が大きいように思います。
日本では、弓月国(ペルシア)から来た秦河勝が、聖徳太子に弥勒菩薩の像をプレゼントして、仏教として、ミトラ神の
存在
を知りました。
空海が中国から持ち帰った密教は、ミトラ教のことで、大日如来は、ミトラを神格化したものです。
ミトラを漢字で「密」と書き、
1週間に1度、太陽を祭る祝日を作り、「密日」と呼びました。
「密日」は
、カレンダーでは朱色で書かれていて、
これが、西洋人に取り入れられて、現在、日曜日は赤文字で書かれるようになりました。
それから、中世のイタリアの神学者で、トマス・アクィナス
というキリスト教徒がいます。
キリスト教以外の異教と理論的に融合を図った「対異教徒大全」という書物や、世界の真理を追究し、聖書の世界観と相違したためにキリスト教と対立していたギリシャ哲学と理論的に融合を図った「神学大全」という書物を残した人です。
理論的、哲学的に優れていて、キリスト教徒たちからは、聖人とされます。
男性原理は、勝ち負けを好みます。
矛盾を嫌い、白黒をはっきりさせようとします。
理屈っぽくなり、違う思想は、弾圧し、排除しようとします。
本来、女性原理の強いキリスト教が、理屈っぽく、攻撃的になっていくのは、アウグスティヌスや、トマス・アクィナスという人達が出てきてからです。
こうして、キリスト教の十字軍は正当化され、たくさんの人の命を奪う結果となりました。
キリストを殺害したユダヤ人の迫害が始まるのも、このころからです。
キリストは、「汝の敵を愛せよ」と言ったので、迫害しろとは言っていません。
剣をとれと言った
のではなく、
「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と言ったのにです。
智恵は、恩恵をもたらすものですが、使い方を間違えれば、悲劇を生むということです。
最後の一人は、シヴァ(大黒天)という神様です。
ナンディンという「牛」を乗り物とするコブラの「蛇」を象徴する神様です。
シヴァは、ヴィシュヌとよく似た部分もあるのですが、本来は、農耕神です。
農耕民族は、田畑を耕す時に「牛」を使っていたので、その人達の信仰を集めた神様です。
シヴァの前身と言われるルドラという神様は、暴風雨の神で、「火」というより「風」の神様です。
日本神話でいうスサノオであり、仏教でいう阿修羅(あしゅら)に当たります。
台風は、その時は農作物が被害に遭いますが、「水」が「風」に運ばれて、土地が肥沃となり、豊作となります。
このルドラという神様は、もともとは、ゾロアスター教のアフラ・マズターという
最高神
なので、ヒンドゥー教などの他宗教の神様に対抗する為に、いろいろな神様の性質を取り込んでいます。
つまり、ブラフマー(水)や、ヴィシュヌ
(火)の性質も持ち合わせている三位一体の(風)の神様というわけです。
ヴァルナ(水)、ミトラ(火)、アフラマズター(風)の三宝荒神に当たります。
シヴァは仏教では大黒天と呼ばれ、日本の大国主命と同じだと言われますが、大国主命の祖神が大物主命です。
大物主命は「蛇」であると同時に、不動明王という「山」を神格化した神様です。
不動明王は、話の分からない極悪人でも、力尽くで、改心させる神様です。
男性原理の神様ですが、その根底には、愛情があります。
童子の姿をしていますが、言ってみれば、父親を神格化したような神様です。
最近、未成年の犯罪が増えていますが、その子供たちに共通しているのは、親が、子を叱れないということです。
子供を正しい道に進ませるには、時には力も必要な気がします。
その根底に、愛情が必要なのは言うまでもありません。
不動明王の炎は、ミトラ神の性質とよく似ているように思います。
インドでも、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神自体が、三位一体の神様だとされるので、どの神様を信仰していても、入口が違うだけで、中は同じ部屋なのかもしれません。
「紫の炎」は、自由を勝ち取る戦いの神様です。
しかし、1096年~1270年まで、イスラム人からの聖地奪還を大義名分とした十字軍の大遠征は、
イスラム諸国の立場からすれば、
虐殺と略奪の、侵略戦争でしかありませんでした。
地中海貿易の利権や、領土拡大といった不純な動機から参加する国家が多いというのも実状で、
1202年の
第4回遠征では、同じキリスト教国であるビザンツ帝国をも滅ぼし、東西に分裂していたローマ教会とコンスタンティノープル教会の再統一の流れも、一気に頓挫することとなりました。
「闘争本能」は、
使用を間違えれば、自分も怪我をする両刃の剣だということです。