正史で最初の大臣(おおおみ)だった武内宿禰の後、大臣は、各大王の治世ごとに親任されます。
反正天皇(はんぜいてんのう)から安康天皇(あんこうてんのう)までの治世に当たる5世紀中期には、「葛城円」(かつらぎのつぶら)が大臣に任命されました。 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)から仁賢天皇(にんけんてんのう)までの治世に当たる5世紀後期には、「平群真鳥」(へぐりのまとり)が任命されました。 継体天皇(けいたいてんのう)の治世に当たる6世紀前期には、「巨勢男人」(こせのおひと)が任命されました。 敏達天皇(びだつてんのう)から推古天皇(すいこてんのう)までの治世に当たる6世紀後期から7世紀初期には「蘇我馬子」(そがのうまこ)が、任命されました。 武内宿禰の後、最初に大臣になった「葛城円」ですが、その祖は、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)という人物です。 葦田宿禰(あしだのすくね)、玉田宿禰(たまだのすくね)、蟻臣(ありのおみ)なども、葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)から分かれます。 |
雄略天皇は、秦酒公(さけのきみ)を、秦氏の伴造として、各地の秦部・秦人の一族を再結集させ、養蚕業を拡大し、確固たる勢力を築きました。
秦酒公(さけのきみ)は、上質の絹製品を大量に朝廷におさめたことから禹豆麻佐(うずまさ)という姓をいただいたと言います。 そして、雄略天皇22年(崩御の前の年)に、葛城氏が代表して奉祀してしていた秦氏の氏神、豊受大神(とようけのおおかみ)を、皇祖神を祀る伊勢神宮の内宮とは別に、外宮を建立し、そこに祀りました。 その中で政務を執った可能性があるのが、飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)で、「青」と名が付く象徴的な人物です。 「青」は「水」の色、聖母マリアの色で、絵画などでは、いつも青い衣服で描かれます。 飯豊青皇女は、忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)とも言い、履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女で、葛城内の忍海(おしぬみ)という地域を本拠地とし、「七姓漢人」と呼ばれる東漢氏(やまとのあやし)をかかえた物品製造に携わる職工集団でもあったそうです。 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー作 「歌を歌う天使達」
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葛飾北斎画 「北斎漫画 三柱鳥居」
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京都市右京区太秦に木嶋神社(このしまじんじゃ)というのがあります。
正式には、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)と言います。 秦氏が建てた神社で、現在は、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を祀っていますが、もともとは、織物の始祖の蚕養(こかい)神を祀る神社で、本殿東側に社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られています。 社殿の西に、かつては湧水が豊富であり、「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に、「三柱鳥居」という珍しい鳥居がありました。 現在は、境内の湧き水が枯渇して池が無くなってしまい、「三柱鳥居」だけになっています。 |
手が6本あり、足を入れると8本の手足があり、「蜘蛛」のような姿をしています。
芥川龍之介の短編小説に「蜘蛛の糸」という話があります。 そのストーリーは、極悪人のカンダタが、生前に一度だけ、蜘蛛の命を助けるという善い行いをします。 カンダタが死んで、地獄にいる時に、釈迦が極楽より蜘蛛の糸を垂らして、カンダタを助けようとします。 カンダタが蜘蛛の糸を見つけて登って行くと、地獄にいる他の罪人達も、同じように後に続きます。 それを見たカンダタは、細い糸が切れてしまうと思って、「下りろ、下りろ」と叫びます。 カンダタが、「自分だけが助かろう」と思った瞬間、糸は切れて、再び、地獄へと真っ逆さまに堕ちていくという話です。 芥川龍之介は、「蜘蛛」を天上の釈迦の使いとして、その糸は、天上と地獄とを繋ぐものとして描いています。 |
興福寺 阿修羅像
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