やっしーの休憩室
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2階
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押入
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クローゼット
書斎
ノートルダム大聖堂
シメールの像
北側のバラ窓
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16世紀~18世紀に奴隷貿易は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカやブラジルなどの新大陸を通じて行われました。
ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスなどの国が奴隷貿易を行いました。
中でも、巨万の富を得たのはイギリス、フランスでした。
推計では、16世紀 では約90万人、17世紀は約300万人、18世紀は約700万人、19世紀は約400万人の奴隷が、売買されたといわれています。
黒人を新大陸に連れて行くまでに、たくさんの黒人が、途中で死んだとも言われています。
アフリカから、黒人が約数千万~1億人近く連れ出された計算になります。
アフリカは大きな大陸でありながら、現在、世界一の過疎化した大陸になったのは、奴隷として、新大陸に黒人を、大量に奪い去られたからだと言われています。
その後、ヨーロッパ列強のアフリカ分割植民地支配を受けて、現在のアフリカがあります。
この植民地というシステムは、キリスト教と深い関わりがあります。
ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスはキリスト教の迫害を行いましたが滅ぼす事が出来ず、
コンスタンティヌス1世はキリスト教を公認し、
テオドシウスの時代に異教が全面的に禁止され、キリスト教はローマの国教となります。
これによって、キリスト教はローマ帝国領であったヨーロッパへと信仰を広める事が出来るようになりましたが、教会の教義決定に皇帝の介入を受ける事になり、325年に
コンスタンティヌス1世
によるキリスト教の歴史で最初の公会議が開かれる事になります。
これが、第一ニカイア公会議でアリウス派が異端とされ、キリストが人ではなく神だとするニカイア信条が採択されます。
これは、ローマ帝国という政治である「剣」と、キリスト教という宗教である「百合」が一つになる事を表します。
裏切者のユダと共に棒や剣を手に持った群衆がイエスを捕らえにやって来た時に、一番弟子のシモン・ペテロが、その手下の一人であるマルコスという人物に斬りかかり、右耳を切り落としたと、ヨハネの福音書18章10節に書かれています。
その時、イエスは「やめなさい」、「剣を取るものは剣で滅びる」とペテロを制したとされます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でペテロがナイフを後ろ向きに隠し持って描かれているのも、「剣」がペテロのシンボルだという意味合いが隠されているように私は思います。
この「剣」が隠れた象徴のペテロの墓の場所に建てられたのが、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で、ペテロはカトリック教会の礎となります。
そして、12使徒以外の弟子で、パウロという重要な人物がいて、彼は最初、キリスト教を迫害する側の人間でしたが、キリストの幻覚を見て「目から鱗が落ちる」という不思議な経験をしてキリスト教に回心します。
それ以降、パウロは外国にキリスト教を布教させて信者を増やした功労者でしたが、ローマのエウル地区にある
トレ・フォンターネ
修道院の地で斬首され殉教しました
。
キリスト教では、パウロは高く「剣」を振り上げた姿で表現される事の多い人物で、彼がペテロの「剣」を引き継いで、キリスト教を世界宗教にまで押し上げた人物だという事なのかもしれません。
ローマ皇帝は、「十字架」を旗印に他国を侵略をし、権力に反抗する人々をキリスト教で懐柔し、領土を広げて行きました。
キリスト教にとっても信者を増やす事が出来る為、積極的にローマ皇帝に協力する形となり、両者の関係は切り離せれなくなります。
植民地政策や、奴隷貿易は、その延長線上にあります。
マタイの福音書では、シモン・ペテロは天国への「鍵」を象徴する人物だとされます。
カトリックにより、キリスト教は世界宗教へと拡大したので、キリスト教にとって重要な役割を果たしたわけです。
ユダヤ教を母体に生まれたキリスト教ですが、やがて白人であるアーリア人を代表する宗教となり、ユダヤ人であったはずのイエスが、金髪の白人として絵画で描かれるようになり、旧約聖書の創世記10章に書かれた「諸民族の起源」が捻じ曲げられて解釈されるようになります。
ノアには3人の息子がいて、セム、ヤペテ、ハムと呼ばれました。
この3人が、後の世界を大まかに分けた三つの民族の祖となります。
ある時、ノアが葡萄酒を飲んで酔っ払って裸で寝てしまったのをハムが見つけて二人の兄弟に告げます。
知らされたセムとヤペテは、裸を見ないように後ろ向きに父に歩み寄って着物を掛けて裸を覆います。
目が覚めて、これを知ったノアは、ハムの子であるカナンに呪いをかけます。
その子孫は、セムとヤペテに仕えるという呪いです。
何故、ハム本人ではなく、その子であるカナンを呪ったのかは謎ですが、問題はその解釈にあります。
ヨーロッパの人々は、セムを黄色人種(モンゴロイド)、ヤペテを白色人種(コーカソイド)、ハムを黒色人種(ネグロイド)に当てはめました。
アフリカの黒人はハムの子孫で、神様が奴隷になるように創られたという間違った解釈です。
TO図
ヘレフォード図
人類を、この三つの種族だけに分けるのもかなり無理があるのですが、セムがユダヤ人でアブラハムやイエス・キリストに繋がる系譜のためヤペテを白人にしたようです。
ヨーロッパの中世に用いられた世界地図で、8世紀のスペインの修道士リエバナのベアトゥスが最初に作成したとされる
TO図と呼ばれる世界地図があります。
「O」は地球を表し、その中にアジア、ヨーロッパ、アフリカの三つの大陸に分ける「T」が描かれ、地中海、ナイル川、ドン川の三つの境界線を表します。
アジアが
Sem(セム)、ヨーロッパが
Iafeth(ヤペテ)、アフリカがcham(ハム)と描かれ、この時代の地図は北が上ではなく、太陽が昇る東が上になる形です。
イングランドのヘレフォード大聖堂には、1300年頃に作成されたへレフォード図と呼ばれる世界地図があり、上部には「O」に覆い被さるように最後の審判のイエス・キリストが描かれ、「O」の中の最上部には壁と炎の輪に囲まれている東の果てのエデンの園が描かれています。
ちょうど、日本のある位置であり、ここから人類の歴史が始まった天国に一番近い島という認識が当時のヨーロッパにはあったようです。
ネストリウスの景教徒の可能性が高い秦河勝が弓月国から持ち帰ったとされる胡王面には、エデンの園を守るとされる智天使ケルビムの像が刻まれていて、兵庫県の大避神社に保管されていると言われます。
日本にやって来た渡来人は、エデンの園を探し求めていたのかもしれません。
ヘレフォード図の「T」の一番下の部分は地中海の西の果てジブラルタル海峡に当たりますが、ここにはギリシャ神話のヘラクレスが建てたとされる二本の柱が描かれています。
ヨーロッパとアフリカを表す二本の柱で、ヘラクレスのシンボルとされる「獅子」はヨーロッパとアフリカの二つの顔を持っていたのかもしれません。
ヨーロッパの認識では、太陽がイエス・キリストと考えられ、アジア、ヨーロッパ、アフリカが分けて考えられました。
物事は分けると、それを区別して認識するようになり、差別が生まれます。
白人至上主義は、後のヒットラーという怪物をも生み出します。
1452年に、ローマ教皇ニコラウス5世は、ポルトガル人に異教徒を永遠に奴隷にする許可を与え、非キリスト教国の侵略を正当化しました。
日本が、アジアの国の中で唯一、西洋の植民地にならなかったのは、キリスト教が権力と結びついている事に、豊臣秀吉や、徳川家康が気付いた事が一番の理由だと思われます。
奴隷貿易は、16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパとアフリカとアメリカを結んで三角貿易と呼ばれ、アフリカ原住民を対象として行われました。
奴隷貿易に関わったジョン・ニュートンが、船を降りて牧師になり、イギリスの政治家
ウィリアム・ウィルバーフォースに影響を与え、奴隷貿易廃止の奇跡を起こします。
その背景にあるのは、プロテスタントの賛美歌という「百合」でした。
「百合」は聖母マリアを象徴する花ですが、元々は「白い薔薇」を表しました。
聖母マリアの色と言えば「青」が基本なのですが、「青い薔薇」がこの時代には存在していなかったので、「白い薔薇」が選ばれたようです。
パリのノートルダム大聖堂はゴート的(ケルト的)という意味のゴシック様式で、女神信仰を取り入れる為にカトリックが200年もかけて聖母マリアの為に建築した教会です。
尖った屋根はケルトの森林をイメージし、ケルト人の信仰した「龍」(ドラゴン)の像が「シメール」(キマイラ)と呼ばれて屋根上に飾られています。
雨水を外に捨てる排水口の役割を担い「シメール」の口から水を吐き出すように造られ、水がゴボゴボと音を立てる事からフランス語の「喉」を表す「ガルグイユ」という言葉が語源になって「ガーゴイル」とも呼ばれるようになります。
火を吐くはずの「龍」が水を吐いていて、そこには、「龍」を嘲笑する悪意があります。
そして、この教会の一番のシンボルは「バラ窓」と呼ばれる三つの円形のステンドグラスで、「聖母マリア」「マリア・サロメ」「マグダラのマリア」の3人のマリアを象徴しているようです。
ケルト人が信仰した神様で、最も人気が高かったのが、「ブリギッド」と呼ばれる太陽の女神で、ケルト語の「rhodd」(赤)が薔薇を表す「rose」(薔薇)の語源となり、「赤い薔薇」は、「ブリギッド」や「マグダラのマリア」を象徴するようです。
ゴシック様式の教会は、ほとんどが西を正面に建てられていますが、私はケルト人に分かりやすく祭壇を太陽の昇る方角にして、「最後の審判」の「イエス・キリスト」を「太陽」と重ね合わせているのだと思います。
それは、丸と十字架を重ね合わせたケルト十字と同じ意味があります。
マタイの福音書の25章31節~46節に、羊飼いが「羊」と「山羊」を分けるようにイエス・キリストが「善人」と「悪人」を分けるという記述がり、「右」に「羊」を置き、「左」に「山羊」を置くとされる事から、「右」が「正しい」という意味の「right」という英語が生まれ、「左」は「残った」という意味の「left」という英語が生まれます。
「羊」が「善人」で、「山羊」が「悪人」だとされるのは、「山羊」が「羊」に比べて気性が荒く、家畜化された角を持つ動物の中で、「野生」の部分を多く残している事が原因のようです。
欲望のままに生きる「野生」の動物に近い「人間」という事です。
「羊」と「山羊」以外に、角を持つ動物で「鹿」がいますが、「鹿」は森の奥深くに住み家畜化されなかった為に、その生態は「人間」にとって謎に包まれていて、神秘的な「自然」に対する信仰を持つケルト人の感情と重なり、「悪人」の象徴とはならなかったようです。
要するに、「人間」なのか「動物」なのかどちらかはっきりしないというのが「山羊」が嫌われる原因のようです。
錬金術(魔術)の神様である「ヘルメス」の子供に牧神パーンと呼ばれる「山羊」の神様がいます。
頭には「角」が生えていて、上半身は「人間」なのですが、下半身は「山羊」の姿の神様です。
ギリシャ神話には、容姿が醜かった為に、パーンの恋愛が片思いで終わる物語が伝わります。
また、テューポーンと呼ばれる蛇の怪物が襲って来た時には、パーンは「山羊」の姿に変身して逃げ出したのですが、慌てていた為に川に向かって逃げてしまい、引き返す事も出来ず仕方がなく川に飛び込みます。
しかし、「山羊」の姿では、うまく泳げなかったので、今度は「魚」に変身しようとしたのですが、頭の中が混乱していたのか、上半身は「山羊」で、下半身は「魚」になってしまって、これが「パニック」の語源になったという話です。
「山羊座」は、この為に上半身は「山羊」で、下半身は「魚」の姿になっています。
これも、「山羊」なのか「魚」なのか、中途半端な姿をした神様を嘲笑するかのような内容の神話になります。
おそらく、エジプトや、インドで信仰された神様に「人間」と「動物」を組み合わせた神様が多い事から、ヨーロッパは外来の神様に気味の悪さを覚え、極端に「動物」を排除したヒューマニズムの思想が生まれたのかもしれません。
ギリシャ神話の神々は、ほとんどが人間の姿をしていて、蛇のメデューサなど「動物」の姿をした神様は滅ぼされる対象とされ、それがゲルマン人へと受け継がれていきます。
この「動物」を排除するという行為が、他の「人種」を排除するという行為へとシフトしていったのは或いは自然の流れかもしれません。
それから、ダニエル書の8章21節などには、「山羊」は異教の神様で、「ギリシャの王」であるという記述があり、
ギリシャ神話の「牛」である最高神ゼウスと、「山羊」である牧神パーンは同じものだと考えられていたようです。
呪われたカナンの子にアムルという人物がいて、その子孫のアムル人がバアルという「牛」の神様を信仰していて、バビロニアのマルドゥクという「牛」の神様のルーツと言われます。
そして、マルドゥクの父親がエンキという「山羊」の神様で、「牛」は「山羊」から生まれた形となります。
元々はユダヤ教を信仰する人々を「羊」とし、それ以外の異教の神を信仰する人々を「山羊」として象徴されていたものを、キリスト教が取り入れたのが「最後の審判」のようです。
何を基準に「善人」と「悪人」が分けられるかと言うと、「私の兄弟で、最も小さい者に対して行った行為」がマタイの福音書に書かれていて、「最も小さい者」とは一般的にはイエス・キリストの弟子達の事だろうと言われていますが、私は弟子に限らず、「弱者」に対して慈悲の心が有るか無いかが問われているのではないかと思います。
それは、ケルト人の「小人」でもあり、弱い立場になってしまった異教の神々や信仰の違う民族を示そうとしたのではないかと思います。
生贄にされる宿命を背負った「角のある動物」も弱者に含まれているのかもしれません。
ノートルダム大聖堂の構造は、東側の祭壇のキリストから見ると「右側」は北側に当たり、聖母マリアの青いバラ窓で「天国」を表し、「左側」は南側に当たり、マグダラのマリアと同じケルト人の信仰する「ブリギッド」の赤いバラ窓になり、「地獄」を表し、どちらを信仰するかで、「天国」か「地獄」かの行き先が決まるという意味なのではないかと思います。
キリスト教に取り入れられた天使で言うと「西」は「黄色」で「ラファエル」という天使、「北」は「青色」で「ガブリエル」という天使、そして「南」は「赤色」で「ウリエル」という天使になり、「東」は最も重要でイエス・キリストと重ねられるゾロアスター教の「ミトラ」という神様がルーツの大天使「ミカエル」になり、王位を象徴する「金色」となります。
絵画などで、「最後の審判」にはイエス・キリストと共に、「剣」を持って裁こうと「善人」と「悪人」を秤に掛ける「ミカエル」が中央に描かれたりもします。
ゾロアスター教の太陽神「ミトラ」のシンボルは「十字架」で、キリスト教はそれを受け継いだ形となります。
「南」の「赤色」を象徴する「ウリエル」に関しては、邪視という蛇の目を持つ死神で「黒色」を象徴する「サリエル」という天使と同一の天使だとされ、ユダヤ人を捕虜とした「マルドゥク」という「牛」の神様と、その下僕の「ムシュフシュ」という「蛇」の神様がルーツのようです。
つまり、西洋の方位である「南」は、「赤色」でもあり、「黒色」でもあるわけです。
それから、正面入口の「西」の「黄色」は、太陽を表す色でもあり、初期のキリスト教は医学の天使ラファエルと深い関わりがあったのですが、キリスト教が白人であるアーリヤ人の宗教となってからは、「黄色」は道化師の色、ユダヤ人の色として差別を受けるようになります。
その原因は、1555年にローマ教皇のパウルス4世が、ローマに住むユダヤ人をゲットーと呼ばれる居住区へ押し込め、白人と区別する為に、「黄色」のバッチと、「黄色」の帽子の着用を義務付た事に始まります。
この東西南北ですが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書でも表現する事が出来ます。
まず、ユダヤ人に向けて書かれた福音書のマタイは「北」の「人」を表します。
そして、ローマ人に向けて書かれた福音書のマルコは「西」の「獅子」を表し、ペテロの従者であり、キリスト教の入口となる存在です。
そして、アーリヤ人に向けて書かれた福音書のルカは「東」の「牛」を表し、パウロの従者であり、世界宗教となったカトリックの本質を表します。
最後の全人類に向けて書かれた福音書のヨハネは「南」の「鷲」を表し、アメリカ合衆国を生み出したプロテスタントの本質を表します。
パウロはギリシャ文化圏で育ち、ユダヤ人と「牛」を信仰するギリシャ人の架橋になろうとした人物です。
ローマをルーツに持つイタリアと、アーリア人の白人至上主義を唱えるヒットラー率いるドイツと、黄色人種である日本が何故か同盟を組んで第二次世界大戦へと突き進んでいったのは、とても不思議に思えます。
白人は大きく分けるとゲルマン系、ラテン系、スラヴ系の三つに分ける事が出来ます。
スラヴ系はロシア人で、ゲルマン系は、イギリス人やドイツ人と分かりやすいのですが、ラテン系はカトリックと結びつき、スペイン、ポルトガルの大航海時代に、各地の植民地の人種と混血が進んだ為、人種が分かりにくくなっています。
スペインだけでも、カタルーニャ人、バスク人、ガリシア人、カナリア人、アンダルシア人、カスティーリャ人、アラゴン人など七つの民族が住んでいて、ポルトガルもスペインの一部でしたが、独立したという経緯があります。
ヨーロッパの歴史を見ると、ゲルマン人の侵入により、ラテン系の西ローマ帝国は滅亡し、代わってゲルマン人のフランク王国が誕生します。
ゲルマン人は大きく分けてフランキスカと呼ばれる槍を武器とする「フランク人」と、サックスと呼ばれる斧を武器とする「サクソン人」の二つに分けられます。
「フランク人」はフランク王国の西側を治め、フランス人の原型となり、「サクソン人」の一部はイギリスに渡ってアングロサクソン人となり、一方、フランク王国の東側に残った「サクソン人」はザクセン王国を経て、ドイツ人の原型となります。
フランクという言葉は、自由、大雑把、臨機応変などの意味がありますが、混血が進んだ多様する価値観や、文化を許容する寛容さとしてポジティブな意味でも使用されます。
フランスがラテン系だとされるのもガリア人(ケルト人)との混血が進んだ為だと思われます。
「サクソン人」は「フランク人」とは違って混血を拒み、キリスト教は受け入れたものの、ラテン系のカトリックと対立するプロテスタントを生み出し、現在に至ります。
ノートルダム大聖堂の話に戻りますが、北側のバラ窓は「聖母マリア」を表す「白い薔薇」、南側のバラ窓は「マグダラのマリア」を表す「赤い薔薇」で、ゴシック建築特有の双塔は、この両者が一つのものだということを象徴しているのだと思われます。
ケルト人の信仰を取り込んだアーリア人の「白い薔薇」は「白い百合」へと姿を変えたようです。
ボヘミア(現在のチェコの西部と中部)でプロテスタントの反乱をきっかけに三十年戦争と呼ばれる民族、宗教、国家を巻き込んだ壮絶な戦争が勃発し、1614年にドイツで「名声」「告白」「化学の結婚」という著者も発行人も不明という謎の3冊の書物が発行されます。
その書物によって、東洋の科学(化学)の象徴である「赤い薔薇」と、「剣」を表す「十字架」がシンボルマークの「薔薇十字団」という秘密結社の存在が話題になり、各地でプロテスタントの運動が盛んになり、「剣」と「百合」が切り離される事となります。
その後、著者はプロテスタントの牧師の息子であったヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエという神学者だと分かり、「薔薇十字団」は架空の存在だと認識されるようになりますが、当時、その影響は計り知れなかったようです。
現代の「銃」という「剣」で人を殺してしまった少年の葛藤を歌うQUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」という曲があります。
この曲を作曲したフレディ・マーキュリーは、ゾロアスター教徒で、呪われたカナン人が信仰した「牛」の「バアル・ゼブル」と、ゾロアスター教の信仰した「鳥」が、カトリックによって「ベルゼブブ」という「蝿」や、「イナゴ」の悪魔に変えられてしまった事を象徴的に詩にしたものだと私は思います。
「蝿」や「イナゴ」に共通するのは、「羽」が生えている事で、これが「天使」と「悪魔」の両方に「羽」が生えている原因となります。
マーキュリーという名前は、錬金術の神様であるギリシャ神話の「ヘルメス」を英語にした名前です。
化学(錬金術)は「赤い薔薇」で表現されます。
人を殺してはいけないのは何故か?
人も自分も同じ人間だからだと、私は思います。
ドストエフスキーの「罪と罰」じゃありませんが、
人を殺すという行為は、結局、自分を殺す行為なのだと、私は思います。
他人を、自分と同じように愛することが出来ないなら、他人も、自分を同じように愛してはくれないでしょう。
幸せな世界を創る唯一の道は、他人の幸せも認めることだと、私は思います。
戦争や、死刑制度で人を殺す行為が禁止されない理由は、国家や社会にとって「敵」とみなした存在は殺した方がよいという理屈からくるものです。
「仲間」を殺す行為は禁止ですが、「敵」を殺す行為は推奨するというわけです。
同じアーリア人のインドとペルシアがそうであったように「神と悪魔の二元論」は、お互いを悪魔と呼び、どちらかが滅亡するまで争いは続きます。
中東で行われているユダヤ人とアラブ人の戦争の根本にあるのも、この問題だと思われます。
「汝の敵を愛せ」はキリスト教の核心の教えであり、「敵」を自分と同じ「仲間」だと考える「百合」の教えになります。
人間は、いつまで、核兵器という「剣」に頼るつもりなんでしょうか…