やっしーの休憩室
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アメリカのニューヨーク州で、家が何件も焼ける大火事がありました。
通報があって現場に駆けつけた一人の消防士が、ある光景を目にします。
猫が、子猫を口にくわえて燃え盛る炎の中から出てきます。
そして、一匹を火の外へ助け出したあと、再び、炎の中に入っていきます。
計、5回も繰り返し、5匹の子猫を救いだしたそうです。
母猫の顔は焼けただれて、目も開けれない状態であった為、匂いを嗅いで子猫の無事を確認していたそうです。
この母猫の行動に衝撃を受けた、その消防士は、母猫と子猫を、すぐに、動物病院に運び込みました。
そして、なんとか一命は、とりとめたそうです。
普通、動物は火を恐れます。
自分から、火に飛び込むなんて事は、通常、考えられない行動です。
単に、母性本能だと片付けるのは、浅はかに思われます。
人間だけが、特別なのではないみたいです。
猫の先祖はリビアヤマネコだと言われています。
猫が最初に家畜化されたのはエジプトで、その目的は毒蛇を家の中に寄せ付けない為に飼われたようです。
猫は俊敏で蛇に咬まれにくい上に、猫の皮は弾力があり、蛇の牙が貫通する事もほとんどなく、仮に咬まれたとしても蛇の毒に耐性があり、死ぬことはほとんどないそうです。
おそらく、毒蛇と太古の昔から戦ってきた進化の過程で、そのような耐性が出来たのかもしれません。
エジプト先王朝時代の遺跡の墓より猫の骨が発見されていることから、紀元前4000年紀後半には家畜化されていたと考えられているようです。
エジプトでは危険な毒蛇が多く、猫は家の守り神としてやがて神格化されていきます。
「犬が人につき、猫が家につく」といわれる理由も、飼い猫としてのエジプトのルーツから来ているようです。
エジプト神話では太陽神ラーの最大の敵とされるアペプと呼ばれる蛇の怪物を倒したのも、セクメトという猫(獅子)の神様です。
セクメトは太陽神ラーの左目から生まれた女神で、日本神話のイザナギの左目から生まれた天照大神とよく似ています。
ただ、その性格は凶暴で、獅子である肉食獣の性格をそのまま神格化したものとなっています。
その為、後の時代に悪神で、セトと呼ばれる砂嵐のツチブタの神様とも習合したようです。
エジプトのナイルデルタ地帯の南東部ザガジグ市の近くにあった
ブバスティスと呼ばれた古代都市ではバステトという黒猫の神様が信仰されました。
家の守護者、ファラオの守護者として信仰を集め、太陽神ラーの娘のセクメトや、太陽神ラーの妻のハトホルといった女神とも同一視されるようになり、ギリシャ人は、アルテミスやアプロディーテーといった女神と重ね合わせるようになります。
猫は家庭を守る女性のイメージなのかもしれません。
太陽神ラーは男神で、コブラを神格化した神様だと言われます。
毒蛇の王のコブラには恐怖と同時に、畏敬の念も生まれたようですが、そのコブラに立ち向かう猫も
、また、同様の対象となったようです。
YouTubeの動画で猫が餌を食べている隙に後ろにキュウリを置いておくと、キュウリを見た猫が尋常じゃない驚き方をするというイタズラをしている動画がありましたが、これは、おそらく猫がキュウリを蛇と錯覚して反射的に飛び退いているものと思われます。
掃除機にしろ、蛇と形状が似ているものは猫は無意識に敵と認識してしまうのかも・・・・
蛇が驚異ではなくなった時代には、穀物を食い荒らすネズミの天敵として猫が豊穣神の地位を得ます。
日本では、東の方角を守る青龍である大物主命(おおものぬしのみこと)は太陽神ラーに該当するものと思われ、
西の方角を守る白虎である豊受大神(とようけのおおかみ)が猫と考えられなくもないですが、決定的な違いは色で、バステトは白ではなく、黒という所が重要だと思います。
おそらく、黒猫であるバステトと同一視されるセクメトやハトホルではなく、イシスが白い豊受大神で、その妹のネフティスが赤の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)に当たるのだと思います。
エジプトではイシスは蛇を捕食する鳶(とび)の女神だとされますが、日本では豊受大神が鷹(たか)で、市杵島姫が鳶に当たります。
鳥と猫では、全然、関連がないように思いますが、そのルーツを辿るとシュメール文明の獅子の顔をしたフクロウを使いとする女神イシュタルに行き着きます。
鳥は上エジプトの象徴で、白い冠で表されます。
イシスはキリスト教の聖母マリアとも同一視されるようになる女神で、息子のホルスは隼の神様だとされますが、イエス・キリストと同一視されます。
そして、ホルスの妻がハトホルだと言われるので、ハトホルはイエス・キリストの愛弟子だったマグダラのマリアに該当するのかもしれません。
フランス各地で信仰された黒いマリア像がありますが、白い聖母マリアと区別する為に黒く塗られたマグダラのマリアだと私は思います。
スペインのモンセラットで発見された黒いマリア像は右手に世界を象徴する丸い玉を持っていて、その姿は仏教の吉祥天を思わせます。
また、幼子イエスを膝の上に抱いているのですが、その容姿は男の子というより女の子に近く、一説には、マグダラのマリアとその娘であるサラ・カリと呼ばれる人物の母子像ではないかとも言われています。
サラ・カリは、イエス・キリストとマグダラのマリアの子供ではないかと言われ、インドのヒンドゥー教の女神カーリーから付けられた名前だと言われます。
サラはヘブライ語で「王女」を意味し、カリはアラビア語で「黒い」という意味だそうです。
サラ・カリはロマと呼ばれる北インドのロマニ系のジプシーの守護聖人だとされます。
ロマは歌舞音曲をなりわいとする下層カースト民で、定住せずに荷馬車に乗って移動する放浪者で、西に理想の地を求めて旅を始めた人々だとされます。
旅立たなければならなかった理由は、カースト制度によって迫害を受け、自国に居場所がなかったからだと思われます。
ロマはヨーロッパ各地に点在し、中にはスリや窃盗などを生活の糧にしている人達もいて、嫌悪感を持っている人もいます。
自国を持ち、白人ともある意味、同等に渡り合えるようになった、我々、日本人には、とても想像がしにくい環境だと思います。
スペインでは、ロマの事をヒターノと呼び、フラメンコ音楽が生まれました。
フランスでは、ジタンとかボヘミアンなどと呼ばれ、ドイツではチゴイネルなどとも呼ばれています。
ヴァイオリンの元祖は「ジプシーヴァイオリン」と呼ばれるロマの音楽で、スペインの作曲家のサラサーテのヴァイオリン曲「チゴイネルワイゼン」は、「ロマの旋律」という意味になります。
貴族達の為に演奏されたクラッシックと共に、余興として宮廷で演奏されました。
ロマの人々は、本来、音楽は特権階級の人々だけのものではなく、あらゆる人々が平等に楽しむ権利を持っている事を教えてくれて、大衆音楽、ポピュラー音楽というものが生まれます。
我々の身近なロックなどの音楽ジャンルも、そういった流れの中で生まれてきたものだと私は思います。
現代の音楽としては、フランスの音楽バンドのジプシー・キングスなんかも有名です。
ロマの旗は、オレンジの輪切りのようにも見えなくはないですが、荷馬車の車輪がシンボルとなります。
日本の天皇家の菊紋の元となった日足紋(ひあしもん)という家紋と、とてもよく似ています。
太陽の光は平等で、誰のものでもないようです。
ロマの旗 ドゥルガー
エジプトの紀元前1950年頃の中王国時代には、上エジプトの主神として太陽神ラーとは別に「隠れたもの」という意味があるアメン(アモン)と呼ばれる夕日を象徴する太陽神が信仰されました。
後の時代には、アメン・ラーとして、太陽神ラーと習合します。
そのアメンは、太陽から放射線上に手が出ている図柄で表される事が多く、アレキサンダー大王が紀元前332年にエジプト入りをした際に、エジプトの偉大な文明に感動をして、自らを太陽神アメンの息子だと自称していた事と、
ロマがアレキサンダー大王に従って移民したエジプト人の末裔であると自称する人々もいる事から、ロマはアメン
を信仰していた民族の可能性があるように思います。
アメンは手が沢山ある事から仏教でいう千手観音に当たるのかもしれません。
ロマはインドの先住民族のドラヴィダ人との関連も指摘されており、インドのシヴァや、カーリーが黒く描かれるのは、ドラヴィダ人の肌の色が黒く、ドラヴィダ人の信仰した神様だからではないかという説もあります。
黒は、アーリア人ではない迫害された人々を象徴していて、サラ・カリは、それらの人々を守護しているというわけです。
女神カーリーは、ダーキニーという侍女がいて、仏教では
荼枳尼天(だきにてん)
と呼ばれる狐の神様で、日本では豊受大神の別名のお稲荷さんに当たります。
天照大神に使える豊受大神という形になります。
女神カーリーは、ドゥルガーと呼ばれる獅子の姿の女神でもあります。
セクメトにしろ、カーリーにしろ
血と殺戮を好む戦いの
女神と恐れられますが、おそらく、迫害したものが、いつか復讐を受けるのではないかという恐れから生まれた信仰ではないかと私は思います。
マグダラのマリアが伊邪那美命(いざなみのみこと)だとすると、その娘であるサラ・カリは闇龗神(くらおかみのかみ)であり、別名を
稚日女命(わかひるめのみこと)と言い、日本では童女で表されます。
日本の女王卑弥呼であり、初代天照大神に当たります。
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少し可哀想な気もしますが、蛇に対する猫の本能がよく分かります。
猫が怒った時に発する「シャー」という威嚇音は、蛇が敵を威嚇する時に使う空気音で、猫がそれを真似たものだとも言われます。
猫と蛇は長年のライバルというわけです。